Amazonベストセラー『がん治療選択』の続編を綴る。
10月9日(土)
5時30分に目が覚めてしまう。まだ、病院の起床時間になっていない。
静かにベッドから起き上がると、ミニギターを持ってエレベーターホールのロビーに行く。薄暗い中、ソファには誰もいない。
座って、ギターをつま弾く。手術直後は、さすがにギターを手にする気力がわかなかったが、その後、4人部屋の患者たちがシャワーや散歩に出掛けている昼間、こっそりギターを弾いていた。いや、気づかれているかもしれない。それでも、まあ、耳障りなほどの音は鳴っていない(と信じたい)。
早朝のロビーは人気もなく、ギターを弾くにはちょうどいい。調子に乗って弾いていると、自販機に飲み物を買いに来た高齢者が近づいてきた。
「ギターですか」
「あ、すいません。うるさかったですか?」
「いやいや、そんなことないよ。ちょっと、弾かせてくれる?」
ギターを渡すと、ソファに座って、いくつかコードを鳴らした。
「ピック、使います?」
「いや、いらない。昔、ウクレレをやってましてね」
「そうなんですか」
「会社に勤めていた時も、実はキャバレーやクラブで弾いていたんですよ」
なるほど、弾く姿が様になっている。
「いま、孫がホルンをやっていて、ドイツに演奏に行ってるんですよ」
「私も中学の時、フレンチホルンやってました。ドイツに行くほど上手くないですけど」
「あ、そう。楽器は1つできると、あとは共通してるからね。音楽はリズムですよ」
彼は肺を患っているという。手術ができず、抗がん剤での治療を続けている。元気ならば、ドイツに行っていたのかもしれない。
「ありがとう。楽しかったよ」
そう言って、薄暗い廊下に消えていった。