インタビュー抄録

大津敦・国立がん研究センター東病院院長 (文:金田 信一郎)

がんセンター東病院に、初めて足を踏み込んだのは、2020年4月のことだった。

東大病院での対応に不信感を抱いていた私は、セカンドオピニオンで、自宅から2時間かけて、この病院にやってきた。

一歩、足を踏み入れた瞬間、ガラス張りの天井から差し込む光をまぶしく感じた。このエントランスホールの温もりが、私にどれだけの希望を与えてくれたか。

そして、このホールにあるドトールコーヒーで過ごす時間が、私にとっては癒しの時間になっていた。

この空間に「治る可能性」を感じていた。

治療が一段落した翌2021年、私は病院トップにインタビューする機会を得た。そして、彼と話した時、かつての予感は確信に変わった。この病院には、自分にとっての「理想の病院」となりうるモチベーションを持っている。そんな、私が抱いた思いの一端でも感じてもらいたく、国立がん研究センター東病院の大津敦院長とのインタビュー要旨を、ここにまとめておく。

 

金田大津さんご自身、この病院に長くいらっしゃるんですよね。

 

大津1986年から3年間、築地のがんセンター中央病院でレジデント(研修医)をやっていまして、その後、東病院が開院してからずっとここにいます。

まあ、(1992年の開院当初は)「なぜもう一つ国立がんセンターを作るんだ」という議論ですよね。そこで、「難治性のがんを対象にする」ということで、難治がん、特に肺がんや肝臓がんを主な対象にした「第2がんセンターを作る」ということにしたのです。

開院前建築中の病院を見に来て、びっくりしました。30年前、この辺りは藪だらけですよ。当時、勤務していた(福島県)いわき市よりも田舎で、「こんなところに来るのか」と思いましたよ。

ところが、東病院がオープンすると、患者が押し寄せてきたのです。築地にはなかった緩和ケア病棟がありましたからね。あと、陽子線治療も国内で最初でした。この2つが目玉で、進行したがん患者さんが押し寄せてきました。そうなると、肺がんと肝臓がんだけでなく、胃がんや大腸がんの患者さんも多いから、だんだんと東病院でも手術をするようになっていったのです。でも、メインは肺と消化器、頭頸部のがんをなどでした。

その後、希少がんにも取り組んできましたが、いつも「国立がんセンターは2つ必要なのか」と問われてきましたね。そこで、(機能分担として)柏は新しい開発を中心に据える方向性になりました。

この病院は、開院した当時、医師の平均年齢が33歳でしたから。ちょうど、僕もそのくらいの年齢でした。今から考えれば、レジデントクラスの年齢ですよね。

病院も小さいから、診療科横断的なよい雰囲気はずっと続いてますね。

私は内科ですけど、外科であれ、放射線であれ、簡単に話ができちゃう。金田さんが受けられた放射線治療にしても、内科で説明をして、外科でも治療説明を聞いて、患者さんにどっちがいいか決めてもらう。それを最初の頃にやりだしたのが、この病院ですよ。協力し合うことをやってきました。

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