現代の片隅

写真で語る「イタコのいる日常」(2)イタコの歴史

文:篠原 匡

今でこそ「死者の口寄せ」のイメージが強いイタコだが、もともとは集落の人々の相談に乗るカウンセラーのような存在だった。

 

事実、かつてのイタコは嫁姑関係や夫婦関係の相談に始まり、健康、揉め事、引っ越しなど身の回りの相談に乗っていた。当時は地域に医者も少なく、病気の相談でイタコの元を訪れる人もいた。何かあった時に集落の人々がイタコを頼ったのは、イタコに神仏の姿を重ねていたからだ。

 

(写真:Aya Watada、以下同)

 

1回目で述べたように、イタコは目の見えない女性の職業として誕生した。食糧事情や衛生状態に悪かった時代、はしかなどで視力を失う子供が一定数出た。そういった子供を社会としてどのように支えていくのか。それは、地域の中の大きな課題だった。

 

その中で、男性は按摩や三味線弾き、女性は神事に関わるイタコが受け皿になった。言葉を換えれば、イタコは当時の南部地方の人々が生み出した弱者救済システムだと言うことができる。

 

 

それは、イタコの成り立ちからも見て取れる。

 

青森県の南部地方の場合、職業としてのイタコの誕生は江戸時代中期にさかのぼる。その時代、南部地方には口寄せなどの技法を持つ太祖婆たいそばあと呼ばれる盲目の巫女がいた。南部イタコの始祖である。

 

 

その太祖婆にイタコの巫技を伝承された山伏修験の鳥林坊ちょうりんぼうと、その妻で同じ盲目の高舘婆たかだてばあが地域の盲目の女性を組織化し、イタコの巫技を伝承し始めた。その後、教え子が師匠イタコとなり、さらに弟子をとることでイタコが増えていった。

 

その際に、重要な役割を果たしたのは地域の寺社である。南部地方で言えば、八戸の神明宮、津軽地方は弘前の報恩寺、岩手や沿岸部は平泉の中尊寺が師匠イタコに対して鑑札を与え、管理したのだ。

 

 

こうした歴史を持つため、歴史的伝統的イタコは師匠系譜を辿ることができる。

 

盲目イタコの中村タケや、「最後のイタコ」として知られる松田広子の師匠は別の人間だが、どちらもさかのぼれば高舘婆にたどり着く。そして、歴史的伝統的イタコは、免許皆伝の証であるオダイジと、師匠イタコから譲り受けたイタコ数珠を持っている。

 

 

青森県いたこ巫技伝承保存協会が定義する歴史的伝統的イタコは、今では数人しか残っていない。イタコの高齢化も進んでおり、いたこ保存協会によると、常時活動しているイタコは4人ほどになっているという。

 

 

【告知】

蛙企画は、イタコという地域の生活に根ざした習俗を記録し、広く伝えるため、中村タケさんを軸にしたイタコ写真集を出版します。

写真集では、タケさんによる実際の口寄せの記録やインタビューに加えて、イタコの歴史やイタコを成立させている日本人の霊魂観、科学とスピリチュアリティの関係、イタコの役割の一つである「オシラサマアソバセ」、恐山や川倉賽の河原地蔵尊などイタコが集まる「イタコマチ」についても論じます。

イタコという存在をフックに、日本人が無意識に持っている宗教観や信仰を浮き彫りにしたいと考えています。出版費用を集めるためのクラウドファンディングを3月26日から実施していますので、ご協力いただければ幸いです。

失われていくイタコ文化を後世に遺したい!写真集製作プロジェクト」(https://readyfor.jp/projects/90007

 

また、日本独自のアートカルチャーを発信するギャラリースペース、True Romance Art Projects(東京・渋谷)において、国際的なフォトグラファー、和多田アヤ氏によるイタコ写真展「Talking to The Dead」を開催します。

4月3日には、「Talking To The Dead」にも寄稿いただいた宗教ジャーナリストの鵜飼秀徳氏と、今回のプロジェクトを担当している蛙企画の篠原匡のトークセッション(15〜16時予定、先着順)も予定しておりますので、ふるってご参加下さい。

 

◎写真展「Talking to The Dead」

会期:4月1日(金) ー 4月17日(日)

開廊時間:11-19時

会場:東京都渋谷区神南1丁目20 - 7 川原ビル 4F

連絡先:@true_romance_art_projects