Amazonベストセラー『がん治療選択』の続編を綴る。
11月22日
携帯が鳴る。表示板には親しい知人の名前が表示される。いつものように電話をとる。
「宮内さんが亡くなったみたいです」
予期せぬ言葉に、しばし呆然としていた。
能楽師の宮内美樹さんについては、『がん治療選択』でも詳しく触れているので、ここでは割愛する。
ただ、新進気鋭の女性能楽師として、国立能楽堂を満席にするスターの登場は能楽界に大きな希望となっていた。その軌跡を追っていた私としては、自らがガンに冒されて取材活動が止まり、ほぼ同時にガンが発覚した彼女と、連絡をとって励まし合いながら治療を続けてきた。
彼女の死は、私にとって「敗北」でもあった。
夜の街を彷徨い歩いた。
「非存在」のことを思った。
11月25日(水)
久々に柏の葉キャンパス駅に降り立った。翌日の内視鏡とCT検査のため、三井ガーデンホテルにチェックインする。荷物を置くと、パソコンと資料だけを持って駅前のタリーズに入る。
テーブル席に座ると、ガラス越しに駅のロータリーが見える。この光景を見るたびに、わずか半年前のことを思い出す。はじめて、宮内さんが「私もガンになりました」とメールしてきた時、私はがんセンターで検査の最中だった。終了後、このタリーズに入って大腸ガンについて調べて、「これなら完治する」と確信して彼女に電話をかけた。
だが、それから半年後、彼女はこの世界から姿を消した。
ぼんやりと駅ロータリーを眺める。そこには、何も変わらない風景がある。高校の通学バスが着くと、制服を着た学生たちがぞろぞろと降りてきて、駅に向かって歩いていく。その若者の波に逆流するように、ベビーカーを押した若い女性たちが、しゃべりながらマンション群へと消えていく。
駅前の風景は、何ごともなかったかのように流れていく。
11月29日(日)
大洗海岸に日が昇った。
私は旅館の朝食を済ますと、荷物をまとめて宿を出て、海岸を歩いた。
宮内さんの「墓参り」については著書に書いた通りである。弟子の方々の墓参りに参加させてもらい、終了後に私はひとり墓前に残り、この海岸で一夜を明かした。
冬が到来した海は、心なしか荒かった。
1時間ほど歩くと、近くの雑貨店に入った。アジアやアフリカから輸入された安物の雑貨が、薄暗い店内に所狭しと並んでいる。
指輪が入った籠が目にとまった。手に取ると、大きな「宝石」の玉が様々な色に変わっていく。800円という価格からすると、ガラス玉だろう。しかも、傷などが入った欠陥品のようで、無造作に籠に入っている。その1つひとつ取り上げて眺める。中に、ガラスの一部が黒く曇ってしまう不良品を見つけた。
指にはめてみる。中指は関節にひっかかって入らない。薬指にちょうど収まった。
黒い部分は、画像に写った不安の影のようにも見える。
振り向いてレジを見ると、誰もいない。薄暗い店内の隅で、品物を並べていた女性に声を掛ける。まだ新入りなのか、ぎこちなくレジを打っている。私は近くの商品を眺めている。すると、不意に声を掛けられる。
「付けていきますか」
少し考えた。
「はい。そうします」
渡された指輪を手のひらの中で軽く握りながら、店を出た。
海の見える場所で、そのガラス玉を光にかざしてみる。強い太陽光が差し込み、黒い影が少し透き通った。
12月10日(木)
「いいんじゃないですかね」
2週間前の検査の画像を見ながら、小島先生がそう言った。
私がほっとしたのも束の間、こう続けた。
「では、そろそろPET・CTをやりますか」
その言葉を聞いて、少しうろたえた。
──PET・CT? 聞いたことはあるが、今になって、そんな検査をするのか。
宮内さんが受けていたことから、検査法は調べたことがある。注射で放射性薬剤を体内に投与し、CTで全身の画像撮影をする。体の全体を一度に調べることが可能で、ガンが活性化している所が光って映る。
今からPET・CTをやるということは、残存ガンの状態が悪いのかもしれない。
そんなことを考えていると、小島先生は画面を見ながらこう言った。
「来年でもいいんですけどね。早い方がいいですかね?」
残存ガンの状態が分からないまま、年末年始を迎えたくない。
「はい。早い方がいいですね。できれば年内にお願いします」
小島先生は予約画面を見ているのだろう、すぐにこう返してきた。
「それじゃあ、来週に入れときますね」
私は一礼すると診察室を出た。
帰路、つくばエクスプレスの中で、再びPET・CTについて調べてみた。注射を打ってから1時間ほど安静にして、それからCTを撮る。合計2時間ほどかかる。
──まだ新たな検査が残っているとは思わなかった。
日が短くなってきた千葉の住宅街の日が暮れる。季節は真冬へと向かっていく。