日記録 2020/10/29〜11/10

文:金田 信一郎

Amazonベストセラー『がん治療選択』の続編を綴る。

 

10月29日(木)

 

生検の結果を聞きに、国立がんセンター東病院に行く。前回、内視鏡でいくつもの場所の組織をとっていただけに、再発を告げられる覚悟をもってこの日を迎えた。

午前9時すぎ、いつものようにエントランスのドトールコーヒーで朝食をとっていると、呼び出し端末が鳴る。急いでサンドイッチを口に押し込み、診察室に向かう。

小島先生は、今日も落ち着いた雰囲気で座っている。

「生検は問題ないですね」

その言葉を聞いて、とりあえず胸をなでおろした。ただ、前回、CTでリンパに残存ガンのような影が2個、残っているという話だった。

「先生、残存ガンはどうなってますかね」

「いや、消えているかもしれません」

「そうすると、何もしなくていい?」

「まあ、もし大きくなるようだったら、手術か抗がん剤での治療になりますね」

やはり、そういうことか。今のCTの状態だと、ガンが生きているのか、死滅した瘢痕はんこんなのか、はっきりしない。

「でも、経過はいいので、普通に生活して大丈夫ですよ」

放射線治療は、すぐにその効果が判定できないことは分かっていた。とりあえず、生検を何もなく乗り切ったということだけでも、よしとしなければならない。

この生検を1つの区切りと考えていたので、治療中に世話になった人たちに知らせることにした。

「とりあえず、生検は問題ありませんでした」

数人にそう知らせると、「おめでとうございます」という言葉が戻ってくることもある。

——いや、まだ残存ガンの問題もあるのだが。でも、それを言い始めると、また心配する人が出てくるだろう。死滅しているのか、それとも大きくなってくる可能性があるのか、まだ分からない。まあ、そのことは明確になってから伝えればいいか。

 

そう考えていると、能楽師の宮内美樹さんからメールが入る。

 

「検査はいかがでしたか。心配しています」

 

私の診察の日程を覚えていたのだろう。診察が終わった絶妙なタイミングでメールが送られて来た。一緒にガンの闘病を続けてきただけに、彼女にはすべてを伝えなければならないと思って、すぐに返信文を綴った。

 

「ご心配いただき、ありがとうございます。とりあえず、生検は問題ありませんでした。ただリンパ節に2つの残存がんの疑いがある影があるため、経過観察をしていくことになりました。とりあえず安定はしているようです。

宮内さんは体調いかがですか? 私はいつでも都心に行くことができます。もし宮内さんの体調とご都合が許せば、よろしくお願い致します」

 

彼女が腸閉塞を起こして、イレウス管を入れての治療を行ったのは1カ月ほど前のことだ。体調がすぐれない中で、メールを送ることも大変だったはずだ。

 

翌日、宮内さんから返信が届く。

 

「要経過観察とはいえ、まずは生検問題なし、おめでとうございます。

こちらは、腸閉塞による流動食生活で体重激減、腹部膨満で終日横になっていることが多く、体力が落ち日常生活に支障をきたしている状態です。せめて2時間でも起きていられるようになれたら、ぜひお会いしたいです」

 

もしかしたら、近く、宮内さんと会うことができるかもしれない。そう思うと気持ちも少し持ち直すことができた。

 

11月10日(火)

 

1週間ほど前から、右脇腹に鈍痛が走るようになった。最初は気のせいかと思っていたが、次第に痛みが強まってくる。

——もしかしたら、ガンの転移ではないだろうか。

そんな不安が、痛みが強まるにつれて、日増しに大きくなってくる。もう、がんセンターに相談した方がいい。

朝9時、電話はすぐに内科医の小島先生につながった。症状を話すと、いつものように落ち着いた声が返ってくる。

「今日、来てもいいですよ」

それはありがたい。

「すぐにうかがいます。今から出るので、昼頃になりますが、よろしいでしょうか」

「うん。では、着いたらまず血液検査をやってください」

正午前に病院に到着したので、まず2階で血液を採取してもらい、エントランスホールのドトールで、サンドイッチを食べて診察を待っていた。その間も、脇腹に鈍痛が走る。

午後1時半、呼び出し端末が鳴る。コーヒーカップをゴミ箱に捨てて、小島先生の診察室に向かう。

「どこが痛むんですか」

「右脇腹なんですけど」

そう言いながら、痛む脇腹を手でさすって場所を示した。

小島先生は場所を確認すると、パソコンの画面に先月のCTで撮影した画像を映し出した。マウスをスクロールして前後の画像を見ながら、首をひねる。

「まあ、特に何もありませんね。先月15日の画像なので、ここから急速に悪くなっていることは考えにくいですけどね」

その画像を見つめる。確かに、何も映っていない。痛みはあるのだが、ガンの転移でなければ、なんて言うことはない。

「ありがとうございます。気が楽になりました」

「まあ、鎮痛剤を出しておきますので、苦しかったら飲んでください」

礼を言って診察室を出る。

帰路、つくばエクスプレスの電車に揺られながら、窓越しに千葉の住宅街を眺めていた。たまに襲ってくる鈍痛も、もう気にはならなかった。

それから数日たった週末、脇腹に赤い疱疹ほうしんが出ていることに気づいた。前にも同じ症状が出たことがあった。

——そうか。これは帯状疱疹だったのか。

週明けの16日に三鷹の皮膚科に行く。かかりつけの女性医師に診てもらう。

「あ、帯状疱疹ですね。もう乾いてきているので、治りかけていますね。抗生物質を飲みますか?」

「はい。お願いします」

「でも、ウィルスの増殖は止まっていますけどね。本当は、増えている時に薬を飲んだ方がいいんですよ」

そうか、やはり帯状疱疹だったのか。気付くのが遅かった。

皮膚科を出ると、隣の処方薬局で薬を受け取って、自転車で吉祥寺駅まで走る。東急裏のスターバックスのテラス席に座ると、もらったばかりの薬の解説をテーブルに広げた。

「ウイルスの増殖を抑える薬です。服用期間中、グレープフルーツジュースは避けてください」

グレープフルーツジュースだけを避けるように書いてある…。グレープフルーツを食べるのは大丈夫なのだろうか。

そんな、どうでもいいことを考えるぐらいの余裕が出てきた。

バッグからパソコンを取り出して、「帯状疱疹」について調べてみる。治療が遅れると、傷ついた神経が回復せず、痛みが残るという。いま感じている痛みは、これから長く残ることになるのかもしれない。

もっと患部をよく見るべきだった。ガンの再発ばかりを気にしたので、すっかり疱疹を見落としていた。

これからは、体の異常をもっと冷静に見つめなければならない。そんなことを考えていると、11月の風がテラス席を吹き抜けた。クスリの解説書が飛ばされそうになり、あわてて手で抑える。

ひんやりとした風の感触がてのひらに残る。

治療に明け暮れた頃の暑さはとおに過ぎ去り、季節は冬へと向かっていった。

 

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