Amazonベストセラー『がん治療選択』の続編を綴る。
10月12日(月・祝)
夜8時、メールが届く。4人部屋で一緒だった患者のTさんからだ。9月25日に食道ガンの全摘手術をして、その直後に病室を訪ねたので、成功したことは知っていた。すでに元気そうに15分ぐらい喋った。だが、水の飲み込みだけがうまくいかないと言っていた。
その後、ちょっと連絡が途切れていたが、どうやら体調を崩してしまったらしい。
「こんばんは。退院延期。本日まで連続7日間、毎日発熱。抗生物質と解熱剤で対応。血液検査とレントゲンを毎日。CT3回。発熱原因は不明。肺炎、コロナ、術後傷などは異常なし。プリン、がんも、はんぺん、ビスケットは食べられる」
箇条書きのメモのようなメール文からも、発熱による苦しさが伝わってくる。退院も延びてしまったようだ。それでも口から食事がとれているのは大きい。点滴で栄養を採るよりも、はるかに体調はいいはずだ。
すぐに返答メールを打つ。
「食事ができているんですから順調ですよ。決まった時間の発熱だったら、大事ではないと思いますが、原因をはっきりさせたいところですね。まあ、あれだけ病棟が厳重ならば、コロナ感染はありえないと思いますが」
少しでも元気が出るような言葉を書いてみる。すると、こんな言葉が返ってきた。
「毎日コンビニ行ってます」
さすがTさん、熱があろうがベッドにはとどまっていない。
「ふらふらコンビニ行くのはヤバいのでは」
「分かりました。注意します」
まあ、Tさんはそう返信してきたが、彼のことだから、きっとコンビニ通いを続けるだろう。それも回復している証しである。
「よく看護師が許してくれますね(笑)。その元気があれば大丈夫っす」
そう返信しながら、Tさんへの訪問はしばらく止めることにした。3日後にがんセンターに検査に行く予定だったので、久々に病室に顔を出そうかと思っていたが、ここは慎重に行動しなければならない。
もし、Tさんにコロナを感染させてしまえば、治療に支障をきたすし、何よりも生命の危険にさらしてしまう。病棟には、ほかにも多くの重病の患者が入院している。がんセンターにコロナを持ち込むことだけは、絶対に避けなければならない。
10月15日(木)
この日、一連の治療終了後、はじめての検査となる。朝、宿泊していた三井ガーデンホテルを出ると、曇天の暗い空が広がっていた。がんセンター行きのバスに乗る。
血液採取に始まり、CT、そして内視鏡へと進む。
今日の内視鏡は、麻酔の量がいつもより少ないようで、意識が残ったままの検査となった。内視鏡が喉から食道に入っていくが、何度も組織を採取していることがわかる。
——やはり、ガンの腫瘍が残っているから、組織を採っているだろう。生検に回して、詳しく調べるに違いない。
ぼんやりとした意識の中で、そんなことを考え、憂鬱な気分になった。
終了後、診察ベッドに横になったまま休憩スペースに運ばれた。そこで、1時間の休憩をとる。いつもは、体の痛みが消えているため、気分が晴れていく。だが、今回ばかりは、心の中に不安が渦巻いていた。
看護師がやってくる。
「気分はどうですか」
「大丈夫です」
「では、終了です。お気をつけて」
軽く礼をすると、内視鏡センターがある建物を出て、外来棟エントランスホールのドトールコーヒーで、内科の診察時間まで、いつものように時間を潰す。
胸のあたりを触ってみる。まだ、放射線治療の痕が、ヤケドのように残っている。だが、痛みは感じない。
体内にはまだガンが残っているのだろうか。
椅子にもたれかかるようにして、天井を見上げる。ガラスの天井の上は、まだ曇天の空が覆っていた。
ふと、沖縄のおばあちゃんのことを思い出す。
——やはり、彼女が言うように、ガンと共に生きていこう。手術をしていないので、食事は普通にとれるし、コーヒーを飲むこともできる。こうした時間を大切にしながら過ごしていく──。
午後1時、呼び出し端末が鳴った。内科の診察室に入ると、小島先生はパソコンの画面を見ていた。
「いいですね。消えてます」
予想外の言葉に、耳を疑った。
「えっ。内視鏡の画像ですか?」
「うん」
そう言うと、小島先生は今日の内視鏡の画像をスクロールする。連続画像が映し出される。食道は凹凸のない、きれいな状態で映っている。ヤケドをしたような様子もない。
だが、連続画像の中で、気になる所もある。
「先生、この喉のあたりは膨らんでいませんか?」
「まあ、リンパは2個、小さくなっていますが…」
「えっ。残っている?」
「うん。でも、まあ影のようなものですし、小さくなっているので」
「……」
どう解釈していいのか。リンパに転移ガンが残存しているのであれば、それは手術で切除しなければならないのだろうか。だが、死滅した痕なのかもしれない。それならば、問題ないのだが。
また不安が膨らんでいく。
だが、小島先生は表情を変える様子はない。
「まあ、これからは普通に生活して大丈夫です」
特に、何らかの処置が必要ではないという。経過観察ということだろう。
複雑な思いを抱えたまま、がんセンターを後にした。
吉祥寺駅に降り立つと、細かい雨が降っていた。その中を、あてもなく歩き始めた。いつもの見慣れたビルや店舗がモノトーンに映り、傘をさした人々がすれ違っていく。頭の中で、答えのない思考が繰り返し巡っては消える。
気づくと、日が落ちた住宅街に迷い込んでいる自分がいた。
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