患者の声を医療に

文:金田 信一郎

ガン治療において、後悔をするような事態だけは、絶対に避けなければならない。臓器切除など不可逆な施術を受けることが多い。そうなれば、もう元の体には戻れないからだ。

だからこそ、医師との信頼関係は極めて重要になる。信頼の上に治療が進まなければ、どうしても後悔の念が生まれやすい。

ガン治療を経験して、その考えを強くし、年間100万人という新規ガン患者に、少しでも早くそのことを伝えたいと思うようになった。治療が終わってからでは、もう手遅れなのだ。

しかし、ガンを告知された人のうち、どれだけの人が混乱の中で的確な情報にアクセスできるだろうか。そこに、もどかしさを感じざるをえない。

そんな時、ニューズウィーク日本版の編集部から、ある元ガン患者を紹介された。渡邊眞佐子、63歳。彼女の話は、私が経験した「納得した治療」とはまったく違う経緯を辿っている。そこに、医療の光を感じたので、ここに記しておく。

渡邊は米ニューズウィークの元編集者で、5年前に胆管ガンを患った。胆管ガンは難治ガンの1つで、生存率が極めて低い。胃ガンや乳ガンと比べると患者数も少ないため、医療情報が少ない。手術も難しく、抗がん剤も効きにくい。だから、患者は情報がない中、孤立してしまう。

渡邊も、厳しい治療を経験することになる。

 

「病院に行くのが楽しかった」

 

それは突然の出来事だった。

2016年秋。血液検査をすると、胆管の数値が高い。

だが、翌週からベルギー旅行に出かける予定がある。夜、友人に電話をかける。

「まあ、帰ってきてからでもいいよね」

友人にそう電話すると、電話口から悲鳴のような声が聞こえる。

「なに言ってるの。すぐに病院で検査して」

MRIを受けると、腹部に大きな影が映った。画像を見る医師の声が震えた。

「肝内胆管ガンの疑いがある…」

その影は、肝臓の右側を覆うように映っていた。

——明日にはベルギーに発つ予定だし、今日のうちに大病院に行っておかないと。

紹介状を持って、都内の大学病院に着いたのは昼の12時半だった。すでに、診察時間が過ぎていて、待合室は閑散としていた。

もう、今日は無理かもしれない——。

そうあきらめかけた時、若い医師が出てきて声をかけられた。

「どうぞ」

そして、診察をはじめると、途中で顔色が変わる。

「ちょっと待っていてください」

そう言って、奥からベテラン医師を連れて戻ってきた。そして、画像を睨むように見つめる。渡邊が恐る恐る、聞いてみる。

「先生、明日からベルギーに行く予定があるんですが、よろしいですかね」

すると、ベテラン医師がきっぱりとこう言った。

「言語道断です」

肝内胆管ガン、しかもかなりステージは進行している。

頭が真っ白になった。だが、その渡邊に、ベテラン医師がこう語りかける。

「今から、全速力で検査します」

難治ガンだが、絶対に治す──その気迫が伝わってきた。そして、若手医師も含めたチームが精密検査を次々と実施していく。

——この人たちなら任せても大丈夫だ。

渡邊は、このベテラン医師が率いるチームに信頼を強めていった。

腫瘍は肝臓を覆い、リンパ節にも転移していた。ステージ4で、5年生存率は一桁しかない。

手術をできないケースも多いが、ベテラン医師は「手術が可能」と断言した。そして、図解して腫瘍の位置と、それをリンパ節も含めて取り切ることを説明していく。

「すべて取っていいですね」

ここまで、大きな手術を断行するケースは少ない。生命をかけたギリギリの手術になる。

「はい。お願いします」

異例の大手術が実施されるとあって、当日には多くの医療関係者が見学に集まった。オペが始まり、開腹すると大動脈転移も見つかった。それでも、すべてを取り切る大手術が成功する。

——これで救われたのか。

そう思った数週間後、今度は肝転移が見つかる。ベテラン医師は、こう呟いた。

「ここで白旗をあげたくない」

そして、長い抗がん剤治療に突入する。

「でも、なぜか、病院に行くのが楽しかった。先生や医師チームと会っていると、安心感があるから」

 

患者ネットワークの力

 

それから3年が経ち、昨年、寛解が告げられた。極めて希なケースだという。

「きっと信頼できる先生たちだったから、生きる力が沸いたのだと思う」

渡邊はそう振り返る。

だからこそ、生存率が低いこの難病に苦しむ人に、何かがしたい。

そうして、昨年7月、「胆道がんの会(デイジーの会)」を立ち上げた。患者の声を、医療界に届けるために。

渡邊は患者会の立ち上げをしていて、多くの患者が自分と違う体験をしていることを思い知った。患者の多くは医師への不信感を口にしている。

「もっといい治療があるのではないか」。「医師の言葉が信用できない」。そう悩み苦しんでいる。

患者が連携することで、心が安らぐ場やネットワークを作ることはできた。だが、何かが足りない。それは、根本的な治療につながっていないからだ。医療界に患者の声を届けて、新しい治療や薬を生み出すことにつなげていきたい。

そんな中、解を求めて、米胆管がん財団に連絡をとった。その財団は、世界最大級の患者団体だった。それも、15年前に、たった一人の女性からスタートしている。それが、今では5200人の会員が集い、18カ国から医師や研究者180人が参加する。巨額の募金が集まり、それを自らが運営する国際研究ネットワークに投じて、新薬の研究開発につなげようとしている。

その米財団の女性創業者と電話会議をすることができた。しばらく話していると、相手がこう切り出した。

「じゃあ、これから連携してやっていきましょう」

電話を切ってから、米国のネットワークを広げる力を噛みしめた。

ひるがえって考えれば、日本では患者のつながりが希薄で、その声が医療界に届いていない。この国でもできるはずだ。そう信じている。

今も、渡邊の心から再発の不安は消えることはない。それでも、患者からの相談を受け、医師や製薬会社との打ち合わせに追われる。

いつか、患者の声が医療界に届き、この難病から人々が救われる日がくる──そう夢見て。

 

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