Amazonベストセラー『がん治療選択』の続編を綴る。
9月28日(月)
久しぶりに、柏の葉キャンパス駅に降り立った。
明日の検査に備えて、三井ガーデンホテルで前泊する。1カ月以上にわたって滞在していたホテルだけに、フロントには私のことを認識している人もいる。
チェックインを済ませて部屋に荷物を置くと、午後6時、日差しが傾き始めたころにホテルを出た。そのままホテル裏の沼を通って、巨大な蔦屋書店の中にあるスターバックスでアイスコーヒーを注文し、いくつかの雑誌を手にして席に座る。
思い返せば、1週間前はまだ入院中だった。
だが、退院してわずか1週間だが、心の中に変化を感じていた。
自宅に戻った翌々日のこと。夕方、母の部屋でお茶を飲んでいると、スマホの着信音が鳴った。画面には、東京・蒲田の住職の名前が表示される。
「金田さん、本を読みました」
第一声でそう言うと、私が入院中に出版された、地元・吉祥寺の時計メーカーの創業記について短く感想を言った。
「まあ、私は吉祥寺が縁のない場所なので」
あまりお気に召さなかったようで、口ごもるように数行ほどの言葉を並べた。そして、こう締めくくった。
「金田さん、次は『生きるか死ぬか』をテーマに書いてください」
生きるか死ぬか——。
電話を切ってからも、頭の中でその言葉が繰り返された。残された人生で、やらねばならないことを啓示するような響きがある。
早く文章を書き綴らねば。お茶をすすりながらも、焦燥感が湧いてくる。
体調は問題ない。ならば、早く書かなければいけないだろう。放射線治療に切り替えたことで、手術をした場合と違って、生活は大きく変わっていない。頭髪が抜けてスキンヘッドになり、喉から胸にかけてひどいヤケドの跡がある。見た目は大きく変化しているので、会った人は驚くことになる。
だが、喉や肺に当たった放射線の副作用はほとんど感じない。食事は問題なく喉を通る。酒を飲まなくなったため、その分のカロリーを食事でとっているため、大学生の息子と同じくらいの量を食べる。
体調は予想よりもはるかにいい。
ただ、再発リスクが高いことは変わりがない。食道ガンステージ3だったことで、5年後の生存率は26%。4人に1人しか生きていないという事実はなんら変わらない。もし生きていたとしても、ガンを再発させているなど、体調不良の可能性もある。
生きるか死ぬか——。
それは、自分の人生において、これからも幻聴のように響き続けるだろう。
スタバの店内はいつものように、若者で満席に近い状態だった。
私はバッグを膝の上に置いて、中からパソコンとモレスキン・ノートを取り出した。そして、ノートに手書きで記録してきた内容を、文章に整えてパソコンに打ち始める。
いつしか、私の頭の中に、東大病院に入院した頃の記憶が蘇ってくる。あの頃、病棟の9階から不忍池を歩く人の姿を眺めると、彼らがもう自分には手が届かない世界の人々のように感じた。
——自分は、また彼らのように自由に動き回るチャンスをもらった。そんな今のうちに、書けるだけ書き残しておこう。
そうして2時間がすぎた。
気がつくと、周囲から若者の姿が消えていた。閉店時間になり、店員が清掃をしている。静かにパソコンを閉じると、建物を出て沼のほとりに下りた。水面にビル群の光が映り、輝いている。
その沼にかかる橋を渡ると、きらめくマンションとホテルの上を歩く自分がいた。
9月29日(火)
「血液検査は問題ないですね」
主治医の小島隆嗣先生は、そう言うと検査結果のコピーを打ち出してくれた。白血球などの数値は前回よりも回復が早い。ただ、肝臓に関連する数値が芳しくない。
——すべてが完璧に回復することは、やはり難しいのだろうな。
そんなことを思っていると、小島先生からこう問われた。
「体調は大丈夫なんですよね」
「はい」
「では、10月15日に検査をやりましょうか」
思ったよりも早く、内視鏡とCTの検査をするようだ。放射線治療は効果が出てくるまでに時間がかかると言われている。治療後、数カ月してから効果が現れることもあるため、検査は先になるものだと思い込んでいた。
念のため、手帳を確認するが、まだ予定などはほとんど入っていない。
「大丈夫です」
「では、栄養をとってくださいね」
黙ってうなずくと、小島先生はパソコンに予定を打ち込んだ。
「何かありますか」
不意にそう問われた。特に何もないが、少し考える。
「食事って、何を食べてもいいんでしょうか?」
「大丈夫ですよ」
「刺激物もいいんですか」
「それって、カレーとかのこと?」
「そうですね」
「大丈夫ですよ。毎日でなければ」
うなずきながらも、心の中では苦笑していた。というのも、私はかつて、カレーを毎日のように食べていた。激辛の食事を好み、都内各地に「お気に入り」の激辛カレー店があり、Googleマップに場所を保存している。取材が終わって食事の時間になると、近くにあるカレー店をマップで確認して、激辛カレーを食べる。ほかにも、どんな料理でも唐辛子やラー油、胡椒を山のように振りかけて食べる。
実は、この食習慣も、アルコールの大量摂取と並んで、食道ガンになった遠因かもしれない。
それだけではない。52キロの体重を維持するため、食べすぎたと思った時は、トイレなどで喉に指を突っ込んで吐いていた。年末年始など、宴会が続く時期には、毎晩のように吐いたため、指に「吐きだこ」ができるほどだった。この習慣も、胃酸が食道や喉に上がってくるため、体を痛める悪癖だったことは間違いない。
さらに、高校2年の時から続く、昼夜逆転した生活も体のリズムを崩していただろう。朝日が上ってきて、ようやくベッドに入るという日常を繰り返した。
「いつか、大病するのではないか」
そうは思っていた。だが、アルコールの大量摂取があったため、肝臓系の疾患が最初に襲ってくると予想していた。まさか、食道ガンになるとは、想像だにしなかった。
だが、今になって考えれば、食道ガンの条件は揃っている。
——これからは、少し生活を改めないと、同じことを繰り返すな。
柏からの帰りの電車内で、通り過ぎる住宅街の景色を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
Amazonベストセラー『がん治療選択』