日記録 2020/9/28〜29

文:金田 信一郎

Amazonベストセラー『がん治療選択』の続編を綴る。

9月28日(月)

久しぶりに、柏の葉キャンパス駅に降り立った。

明日の検査に備えて、三井ガーデンホテルで前泊する。1カ月以上にわたって滞在していたホテルだけに、フロントには私のことを認識している人もいる。

チェックインを済ませて部屋に荷物を置くと、午後6時、日差しが傾き始めたころにホテルを出た。そのままホテル裏の沼を通って、巨大な蔦屋書店の中にあるスターバックスでアイスコーヒーを注文し、いくつかの雑誌を手にして席に座る。

 

 

思い返せば、1週間前はまだ入院中だった。

だが、退院してわずか1週間だが、心の中に変化を感じていた。

 

自宅に戻った翌々日のこと。夕方、母の部屋でお茶を飲んでいると、スマホの着信音が鳴った。画面には、東京・蒲田の住職の名前が表示される。

「金田さん、本を読みました」

第一声でそう言うと、私が入院中に出版された、地元・吉祥寺の時計メーカーの創業記について短く感想を言った。

「まあ、私は吉祥寺が縁のない場所なので」

あまりお気に召さなかったようで、口ごもるように数行ほどの言葉を並べた。そして、こう締めくくった。

「金田さん、次は『生きるか死ぬか』をテーマに書いてください」

生きるか死ぬか——。

電話を切ってからも、頭の中でその言葉が繰り返された。残された人生で、やらねばならないことを啓示するような響きがある。

早く文章を書き綴らねば。お茶をすすりながらも、焦燥感が湧いてくる。

体調は問題ない。ならば、早く書かなければいけないだろう。放射線治療に切り替えたことで、手術をした場合と違って、生活は大きく変わっていない。頭髪が抜けてスキンヘッドになり、喉から胸にかけてひどいヤケドの跡がある。見た目は大きく変化しているので、会った人は驚くことになる。

だが、喉や肺に当たった放射線の副作用はほとんど感じない。食事は問題なく喉を通る。酒を飲まなくなったため、その分のカロリーを食事でとっているため、大学生の息子と同じくらいの量を食べる。

体調は予想よりもはるかにいい。

ただ、再発リスクが高いことは変わりがない。食道ガンステージ3だったことで、5年後の生存率は26%。4人に1人しか生きていないという事実はなんら変わらない。もし生きていたとしても、ガンを再発させているなど、体調不良の可能性もある。

生きるか死ぬか——。

それは、自分の人生において、これからも幻聴のように響き続けるだろう。

 

スタバの店内はいつものように、若者で満席に近い状態だった。

私はバッグを膝の上に置いて、中からパソコンとモレスキン・ノートを取り出した。そして、ノートに手書きで記録してきた内容を、文章に整えてパソコンに打ち始める。

いつしか、私の頭の中に、東大病院に入院した頃の記憶が蘇ってくる。あの頃、病棟の9階から不忍池を歩く人の姿を眺めると、彼らがもう自分には手が届かない世界の人々のように感じた。

——自分は、また彼らのように自由に動き回るチャンスをもらった。そんな今のうちに、書けるだけ書き残しておこう。

そうして2時間がすぎた。

気がつくと、周囲から若者の姿が消えていた。閉店時間になり、店員が清掃をしている。静かにパソコンを閉じると、建物を出て沼のほとりに下りた。水面にビル群の光が映り、輝いている。

その沼にかかる橋を渡ると、きらめくマンションとホテルの上を歩く自分がいた。

 

 

9月29日(火)

 

「血液検査は問題ないですね」

主治医の小島隆嗣先生は、そう言うと検査結果のコピーを打ち出してくれた。白血球などの数値は前回よりも回復が早い。ただ、肝臓に関連する数値が芳しくない。

——すべてが完璧に回復することは、やはり難しいのだろうな。

そんなことを思っていると、小島先生からこう問われた。

「体調は大丈夫なんですよね」

「はい」

「では、10月15日に検査をやりましょうか」

思ったよりも早く、内視鏡とCTの検査をするようだ。放射線治療は効果が出てくるまでに時間がかかると言われている。治療後、数カ月してから効果が現れることもあるため、検査は先になるものだと思い込んでいた。

念のため、手帳を確認するが、まだ予定などはほとんど入っていない。

「大丈夫です」

「では、栄養をとってくださいね」

黙ってうなずくと、小島先生はパソコンに予定を打ち込んだ。

「何かありますか」

不意にそう問われた。特に何もないが、少し考える。

「食事って、何を食べてもいいんでしょうか?」

「大丈夫ですよ」

「刺激物もいいんですか」

「それって、カレーとかのこと?」

「そうですね」

「大丈夫ですよ。毎日でなければ」

うなずきながらも、心の中では苦笑していた。というのも、私はかつて、カレーを毎日のように食べていた。激辛の食事を好み、都内各地に「お気に入り」の激辛カレー店があり、Googleマップに場所を保存している。取材が終わって食事の時間になると、近くにあるカレー店をマップで確認して、激辛カレーを食べる。ほかにも、どんな料理でも唐辛子やラー油、胡椒を山のように振りかけて食べる。

実は、この食習慣も、アルコールの大量摂取と並んで、食道ガンになった遠因かもしれない。

それだけではない。52キロの体重を維持するため、食べすぎたと思った時は、トイレなどで喉に指を突っ込んで吐いていた。年末年始など、宴会が続く時期には、毎晩のように吐いたため、指に「吐きだこ」ができるほどだった。この習慣も、胃酸が食道や喉に上がってくるため、体を痛める悪癖だったことは間違いない。

さらに、高校2年の時から続く、昼夜逆転した生活も体のリズムを崩していただろう。朝日が上ってきて、ようやくベッドに入るという日常を繰り返した。

「いつか、大病するのではないか」

そうは思っていた。だが、アルコールの大量摂取があったため、肝臓系の疾患が最初に襲ってくると予想していた。まさか、食道ガンになるとは、想像だにしなかった。

だが、今になって考えれば、食道ガンの条件は揃っている。

——これからは、少し生活を改めないと、同じことを繰り返すな。

柏からの帰りの電車内で、通り過ぎる住宅街の景色を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

 

Amazonベストセラー『がん治療選択

 

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