黄昏の街の夜明け前
昭和の時代から、この街の朝はどこよりも早く始まる。街が黄昏れた今も、それは変わらない。
まだ夜も明けきらない午前5時過ぎ。始発電車が通り過ぎた南海本線のガード下から、緑色のベストを着た男たちが続々と姿を現した。彼らはヘルメットをかぶり、手にはほうきやデッキブラシを持っている。高齢者特別清掃事業に関わる高齢者の一群だ。
班長の指示の下、タバコの吸い殻を集めたり、立ち小便の跡をブラシでこすったりと、街の清掃活動に従事している。
その中に、ひときわ小柄な男性がいた。平護(ひら・まもる)、84歳である。
北海道出身の平。若いころは寿司職人やマンホール向けの鉄筋工、とび職などさまざまな仕事に就いた。ケガをして建設現場を離れた後も、トラック運転手として、ベアリングを大阪から広島まで運んでいた。
そんな平の人生が転機を迎えたのは、妻にがんが見つかった56歳の時である。その後、妻が亡くなるまでの14年間は介護に走り回る日々が続いた。60歳から受け取った年金は家計の足しにはなったが、長引く介護生活によって貯金は底をついた。
そして、妻の死去から3年後に想像もしなかったことが起きる。寸借詐欺と住んでいた市営住宅の立ち退きである。
貯金を使い果たした平は、年金を担保に妻の葬儀費用を知り合いに借りた。耳を揃えて返すと、今度は向こうがカネを貸してくれという。世話になったお礼だと思って貸したところ、その男は二度と姿を見せなかった。その後、家賃の未払いが続き、立ち退きを迫られた平は、スーツケース一つでこの街に来た。2008年のことだ。
それ以来、平は月3万1000円の簡易宿所(ドヤ)で暮らしている。
「立ち退きで家に入れなかったから、ほとんど何も持ってこられなかった。でも、おれは幸せだよ。子どもはできなかったけど、素晴らしい嫁さんと出会うことができて」
「おれ、誇れることが一つあるんよ。国会議員でも役人でも、色恋沙汰でしくじるでしょう。嫁さん以外の女を抱くチャンスもあったけど、それはしなかった。嫁さんが悲しむから」
壁についた立ち小便の跡をブラシでこすりながら、平は言う。
地図にない街
大阪の一角に、地図のない街がある。大阪市西成区にある「あいりん地区」、通称「釜ヶ崎」と呼ばれる場所だ。
あいりん地区という名称は行政がつけた呼称であり、あいりん地区も釜ヶ崎も地図上にはない。だが、この場所が、労働力を求める企業と仕事を求める労働者をつなぐ場として、どこよりも熱く、生命力に満ちあふれていた時代があった。