人生を終える病院を決めておく——。
昨年、ガンが再発した時から、そのことを考えはじめた。
そして、ステージ4になったこのタイミングで、自宅に近い緩和ケア病院を訪れることにした。この病院は近所で評判がいい。それで、昨年から「最期はこの病院」と密かに心に決めていた。
歩きなれた道を通り、病院に近い商店街に着いた。アポイントより1時間ほど早い。近くの喫茶店に入り、アイスコーヒーを飲みながら、病院の情報を調べて時間を過ごした。
まだ普通に生活している状態で、こんなことをする人は少ないかもしれない。
だが、最期の病院決定を先延ばしにすると、いつ、病状が悪化して、自分で決めることができず、想定外の病院に運ばれるか分からない。そう思っている。
病院選びは、人生の最終局面が一番難しいし、重要だと思っている。
なぜなら、日本人はまず確実に病院で亡くなるからだ。
厚生労働省「人口動態統計」によれば、現時点でも8割以上は病院(医療機関)で亡くなっている。その数字は年々、上昇している。
逆に、自宅で亡くなる人は12%しかいない。1951年には82%だったが、その後下がり続けて、ついに1割程度となってしまった。
だからして、これから先は、まず確実に病院で亡くなると考えていい。
それでも、多くの人は、自分が亡くなる病院を考えていない。
理由は2つあると思う。
1つ目は、「考えたくない」という深層心理が働くからだ。
「死は必ず訪れる」と頭では理解していても、そこから先は考えない。思考停止してしまう。
考えたくないのだろう。
だが、そういう人ほど、不意に病気やケガをした時に、治療を受ける病院を考えていないので、思いと違う病院で思いがけない治療を受けてしまい、病状や容体を悪化させる。希望とはまったく異なる医療を受けるリスクが高いわけだ。そして、皮肉にもその病院で亡くなる。
事故や災害は仕方がないとしても、そうしたケースも含めて、ある程度のシュミレーションをしておく方がいい。
かく言う私も、以前は考えていなかった一人である。
だが、最期の病院選びが定まっていると、逆算していろいろと人生の設計が固まってくる。
残された人生を濃密に送るべく、やるべきことを絞り、順番を決めて設計する——そんな感覚である。
最期の病院を考えないもう1つの理由は、「自宅で亡くなる」と勝手にイメージしていることだろう。
多くの人は、住み慣れた自宅で亡くなりたいと思っている。だから、「終の棲家」などという言葉がある。
だが、残念ながら、自宅で亡くなる人は12%しかいないのが現実だ。
昔は自宅で亡くなる人が多かった。戦後の1950年代、日本では8割の人が自宅で亡くなっていた。だが、その数字は下がり続けて、ついに1割になってしまった。だから、自宅で亡くなることはないと覚悟した方がいい。
アポの時間が近づくと、喫茶店を出て、見慣れた商店街を歩いて病院に向かった。
15分前、受付に到着した。
診察室に案内され、時間通りに緩和ケア医のH医師との面談が始まった。隣には看護師も付いていた。
H医師は私よりもおそらく年上で、温厚そうな笑みを浮かべながら挨拶してきた。
「こんにちは。ご本人でいらっしゃいますね」
「はい」
そう答えると、H医師は私の様子をうかがい、想像したよりも健康そうに見えたのだろう、こう話し始めた。
「どんなガンでもそうですけど、患者さんはガンを治したいと思ってずっとやってこられるので、緩和ケアとなると、嫌な時期に入ったと思いますよね。頭では(末期ガンを)十分理解していらっしゃると思いますけど、すべて腑に落ちているかと言うと、そうはいかないのが人間ですから」
おっしゃる通りだ。この5年、いろいろと考え抜いたが、とにかく思い通りにならない。含蓄のある言葉である。
「そうですね」。私はこれまでの経緯を頭に浮かべながら何度も頷いた。