BIGの終焉

東電無罪、破綻への序曲

  (文 金田 信一郎)

「権力に有益な知であれ不服従な知であれ一つの知を生み出すと考えられるのは、認識主体の活動ではない。それは権力=知であり、それを横切り、それを構成し、ありうべき認識形態と認識領域を規定する過程であり闘争である」(ミシェル・フーコー『監獄の誕生監視と処罰』)

 

「巨大企業と司法」という権力と、原発という科学技術(知)との結託によって、人々の認識すら動かされていくのか——。

東京電力の旧経営陣3人に、東京地方裁判所は無罪判決を言い渡した。その瞬間、被災地の住民から悲鳴と怒号が飛び交った。

「では、事故の責任者は誰なんだ」。原子力発電所の近くに住み、生まれ故郷からの避難を余儀なくされた住民はそう憤る。

刑法上、組織を罰することはできない。そして今回、経営者も罪を逃れた。つまり、地域と住民に壊滅的な打撃を与えながら、東電は何ら罰を受けることなく経営を続けることになる。

本当に、経営責任はないのか。裁判の過程で、驚くべき証言が出てきている。

事故の3年前、国の「長期評価」で、津波が最大15.7mに達するとの調査結果が示され、社員が元副社長の武藤栄(被告人)に報告している。防潮堤などの対策を打つと思っていると、副社長はこう指示した。

「外部機関に長期評価の信頼性を検討してもらおう」

事実上の先送り——。社員は「想定外の結論に力が抜けた」と証言した。

被告人の1人、元副社長の武黒一郎は、部下から津波データの取り扱いの報告を受けると、「今度は津波か」と言っただけだった。当時、新潟県中越沖地震による原発事故からの復旧に追われていた。厄介なことが増えたと、苦々しく思ったのだろうか。少なくともその反応からは、周辺住民を思い、危機を想像する姿勢は感じられない。

同じく被告人の元社長・会長、勝俣恒久も、担当幹部から想定を超える津波が襲来する可能性を報告されたが、まともに受け止めず、何ら手を打たなかった。

法廷で明らかになったのは、311までの数年間、何度にもわたって経営陣に、津波と電源停止の危険性が報告されていたことだった。

だが、判決では、「事故を回避するには原発の停止しかなかった」として、そこまでの決断を経営陣3人ができる「予見可能性」はないと断定した。

日本屈指の大企業の経営トップに上り詰めた人物が、国の長期予測で指摘され、社員や幹部からも繰り返し危険を指摘されながら事態を予見できない……。

判決を受けて、にわかに「組織罰」の議論が高まっている。経営者に罪がないとするならば、組織に刑法上の責任を負わせるべきだ、と。そうでなければ、被害者の心の置き場がないまま、東電だけが何事もなかったかのように、これまで通り現場軽視の組織運営を続けてしまう。

臨界

919。それは「巨大電力の今後」を暗示する歴史点かもしれない。判決が下されたこの日、他にも「原発と電力会社」を巡る事件が続出していた。

午後、関西電力高浜原発で、トンネルで作業していた9人が緊急搬送された。一酸化炭素中毒で、1人は集中治療室に運び込まれる重体だった。

千葉県は台風15号が通過して10日目を迎えていたが、3万戸の停電が続いていた。しかも、東電のホームページで「復旧した」とされる地域で、「隠れ停電」が続いていたことも明らかになった。東電は現場を確認せず、自動で集計してホームページに復旧情報を掲載していた。

また、環境大臣の小泉進次郎が、原発処理水の海洋放出について「(環境省の)所管外」と発言したことに対する批判が渦巻いていた。報道陣に問われても、「経産省が議論する」と繰り返すばかり。失点を恐れ、傍観者を決め込んでいる。

もはや、触ると危険な臨界点に達しているのかもしれない。

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