朝、がんセンターの隣にあるパークサイドホテルをチェックアウトして、病院の建物に向かった。
今日の最初の診察は、放射線治療科である。
巨大ながんセンターの建物に入ると、曲がりくねった廊下を歩く。その奥に放射線治療科の受付がある。
この場所に来ると、ある記憶が蘇ってくる。
絶望と希望──。
4年前、この放射線治療科に治療の望みを抱いてやってきた。
だが、医師から最初に告げられた内容は、希望を打ち砕くものだった。
治療は難しい──。
そうした内容を告げられ、絶望に暮れて廊下に立ちすくんだ。
だが、その後、放射線治療の専門家から意見を聞き、「放射線で治療できるはずだ」という確信を持って、再びこの場所を訪れた。
そして、放射線治療で食道ガンの治療を受けることになった。その詳細は拙著『がん治療選択』に記している。
この場所には多くの思い出が詰まっている。
「治療は難しい」と言った医師は今はいない。
そして、救ってくれたのは、当時の放射線治療科長、秋元哲夫医師だった。抗がん剤が効いて、3つあった腫瘍が縮小し、内視鏡やCTでは2つが消えていた。
放射線が当てられれば、うまくいくだろう──そんな意見をくれた。秋本医師はその後、副院長を務めてから定年を迎え、今は非常勤となっている。そのため、今回の診察は担当できない。
この日、対応してくれたのは若い修練医だった。思いのほか的確な説明で、こちらの疑問に答えてくれた。
もっとも聞きたいポイントは、今回の再発を放射線治療で出来るのかどうか、である。もちろん、難しいことは分かっている。「放射線治療は、同じ場所に二度、当てることはできない」とされている。
だが、念のために放射線治療医から説明を受けておきたい。そもそも、4年前に受けた放射線治療が、食道のどの部分に、どれぐらいの線量を当てたのか。画像やデータをもらっているわけではないので、そこは確認しておきたい。
今回の再発は胃の近くのリンパ節に出てきている。そこに、4年前に放射線を当てているのかどうか、だ。
医師は過去のデータをパソコン画面に表示して解説してくれた。やはり、再発の部位に、前回の放射線治療は当たっていた。
「つまり、今回の再発に、放射線治療はできないということですね」
「そうですね。前回は(治療の限界量の)95%から100%当てています。だから2回目は難しいですね。また、今回の腫瘍に放射線治療をするとなると、胃にも当てることになります。ですが、胃は放射線量に耐えられません」
私は大きくうなずいた。やはり、今回は放射線で治療する手はない。
専門家から明解な説明を受け、「手術しかない」と腹落ちした。
深く礼をして診察室を出て、また曲がりくねった廊下を戻っていく。
主治医である内科のK先生に報告した。
「うん。それでは手術でやっていきましょう。で、あとは予定通り2つの抗がん剤を2クールでいきますかね」
そう言われて、ふと思い出し、かねてから抱いていた質問を投げかけた。
「先生、オプヂーボはやってもらえないんでしょうか?」