私のガン罹患は5年近く前に溯る。
2020年3月、食事が喉を通らなくなった。当時、腫瘍が喉を塞ぎ、食事を取ることも難しかった。水ですら吐き出す始末だった。
近くのクリニックで胃カメラ検査をすると、大きな腫瘍(ガン)が見つかった。
そして、紹介状が書かれて、数日後に東大病院で精密検査を受けた。胸部、腹部、咽頭近くに3つの大きな腫瘍があり、食道ガン・ステージ3と診断された。
担当医師は東大病院院長。彼は抗がん剤治療を3カ月(3クール)やって、全摘手術(亜全摘)を行うと言った。
だが、詳しい病状説明もなく、手術を誰がやるのかもはっきりしなかった。
その後の経緯はかいつまんで書くが、私はより腕の良い執刀医を求めて千葉の国立がん研究センター東病院に転院した。
抗がん剤3クールが終わったのは2020年の夏だった。
いよいよ手術が近づく中で、検査が行われた。抗がん剤によって、2つのガンが画像から消え、残り1つとなっていた。
私は食道という臓器をすべて失うことを恐れた。
それは、先輩である日経新聞の元論説委員が、前年に食道の全摘手術を受けて、その後、記者という仕事が続けられなくなったことを直接、聞いたことが大きかった。
東大病院での説明不足による医療不信もあった。主治医だった東大病院の院長は、病状や手術方法、術後の状態をほとんど説明してくれなかった。
そうした経緯は、拙著『がん治療選択』に400ページにわたって詳述しているので、そちらも参照してほしい。
悩み抜いた結果、私は放射線治療を選択した。
もし、放射線で成功すれば、食道はそのまま温存され、食事が普通にとれるので、取材・執筆活動を続けることができる。
多少、生存率が下がっても、記者として活動できる期間が確保される。ならば、その方が自分の人生に合っている──。
そう考えて、私は土壇場で放射線治療に転換した。
正解だったと思っている。
放射線治療が終わったのは2020年秋のこと。
そこから4年以上、取材と執筆を続けることができた。その間に単行本を2冊出版し、雑誌の連載も始まった。東北から九州・沖縄まで取材し、文章だけでなく映像作品も制作している。仕事仲間が制作する写真集に、散文詩を発表することもあった。
だが、告知から5年近くたった今、再発することになった。
「リンパ節に再発したら、治療は難しい」
以前から、医師にそう聞かされていた。
通常、消化器のガンは粘膜表面に発生する。
粘膜に発生した原発ガンは早期発見できれば、内視鏡で切除できることも多い。