無念を綴る

贖罪の島

山内昌良 (NPO法人プロミスキーパーズ 代表)

経済指標で日本最低レベルにあえぐ沖縄。その地で、さらに貧困を極めるホームレスたちが寝泊まりする施設がある。そこを運営する男は、極貧に寄り添い、そして再起への道にいざなう。(文・写真 金田 信一郎)

沖縄の海が静かに陰りだすころ、古びた建物の1階に人々が集まってくる。かつてはリゾートホテルだったが、老朽化とともに客足は遠のき、閉鎖に追い込まれた。

今、その建物は88人のホームレスが居住する施設「朝日のあたる家」となっている。

公園に寝泊まりしていた者、刑務所から出たが行く当てのない者……。彼らは、ある男を頼って、この施設にたどり着くことになる。

山内昌良、70歳。

NPO法人プロミスキーパーズ代表として、このホームレス施設を運営する。牧師でもある山内は、施設の1階に教会を設置している。

 

出所10周年パーティー

 

午後5時、教会には20人を超える人が集まっていた。そして、この日の主役である60歳の入居者の前に、大きなケーキが置かれる。その上には、チョコレートの文字でこう書かれていた。

「祝上原善勝さん、出所10周年おめでとう」

照れ笑いをしながら、上原がロウソクの火を消す。拍手とともに宴が始まる。そして、長い歓談の時間が流れていった。

その様子を見ながら、代表の山内は深い感慨を覚えていた。

施設に入ってくる者の中には、酒や麻薬、ギャンブルにおぼれている者もいる。犯罪を繰り返し、刑務所との間を往復する者も少なくない。

上原善勝は、その中でも「ふだ付きのワル」だった。人生の半分以上を刑務所で過ごしていた。

初めて山内の施設に来てから2カ月も経たないうちに、窃盗を犯して塀の中に戻った。出所後、彼が犯罪を繰り返さないよう、山内は祝賀会を繰り返した。出所3カ月後、半年後と、節目が来るたびに食事に誘った。そうして10年の月日が流れた。

「誰にでも過ちはある。だが、更生はできる。それを我々は信じて、じっと待たなければならない」

 

大泥棒の転向

 

山内は、上原が最初に訪ねてきた時のことを鮮明に覚えている。上原は、地図を片手に施設まで歩いてきた。通常、ホームレスは荷物や所持品が少ない。だが、上原は新しい雑貨を50点ほど持っていた。

「全部、100均で買ったんだ」。そう得意げに説明したが、実は全て盗んだ品だった。

それから2カ月後、地元のスーパー「サンエー」に入って万引きし、そのまま警察に連行され、再び刑務所に入ることになった。

刑務所に向かった山内は、そこで思わぬ事実を知ることになる。

「よしかつ」。刑務官も囚人も、上原を畏怖してそう呼んでいた。上原は刑務所内で悪名高き人物として、その名がとどろいていた。

名護市生まれ。中学3年の時、建築中の住宅内でシンナーを吸っている最中、爆発事故を起こす。火傷を負い、その場で逮捕され、鑑別所から少年院へと移送されていった。20歳の時、事務所荒らしで実刑判決を受けて刑務所に入ると、その後、出所しては犯罪に手を染めることを繰り返した。

8度目の刑務所に入った上原は、山内の面会要請を断り続けた。これまで面会に来た人たちは、落ち込んでいる上原に対して、更にむち打つような言葉を浴びせた。「なぜ、また罪を犯したんだ」と。

2カ月も生活の面倒を見てくれた山内は、きっと裏切り行為に激昂げっこうしているだろう。

だから、山内が4度目の刑務所訪問にやって来ても、面会に応じようとしなかった。その姿に、刑務官が肝を焼き、会うようさとす。上原は迷った末、恐る恐る面会室に向かった。

うつむく上原に、山内はこう声をかけた。

「心配しないでいいから、出所したらまた戻っておいで。面倒みるから」

思いがけない言葉に、涙が頬を伝った。その後、山内が何を話したのか覚えていない。ただ、その声を聞きながら、最後まで涙が止まらなかった。

罪を重ねる自分をそのまま受け止めてくれる。そして、手紙や面会を繰り返す。上原は、少年時代から犯罪を重ねたため、複数の刑務所をたらい回しにされ、人とのつながりを完全に失っていた。人を想うことの重み……。上原の行動に変化が生じ始める。それは、刑務所ではちょっとした「事件」となった。

上原が高齢の受刑者の介護を担当したいと言い出した。当初は「よしかつに介護を任せるのか」と刑務所内に戦慄が走った。しかし、その献身ぶりに周囲の見方が変わっていく。刑期の終盤、上原の評判は一転していた。出所が決まった時、高齢受刑者は「出て行かないでくれ」と泣いてすがった。

出所の日。山内はクルマで刑務所まで迎えに行った。上原が塀の中から出てくる。それに続いて、刑務官5人が見送りに出てきた。クルマで刑務所を後にして振り返ると、まだ刑務官たちが手を振っていた。

「これまで何度も刑務所に迎えに行ったが、あんな光景は見たことがない」

山内は、施設に戻った上原を「介護係」としてスタッフに抜擢した。さらに、「警備係」として、全部屋のマスターキーを預けて、夜の見回りまで任せた。

入居者の中には、刑務所経験者が多数いる。かつての「よしかつ」を知っている入居者は、「警備係」をしている事実を知って恐怖に怯えた。

「なんで、あの大泥棒が全部屋のマスターキーを持っているんだ。頼むから、オレの部屋の鍵だけは預けないでくれ」

そう懇願されても、山内は笑って首を横に振る。「かつての彼とはまったく違うから」。今では、上原は地元警察と連携して、犯罪の捜査にも協力している。窃盗や麻薬の事件が起きると、上原が人脈やネットワークを駆使して情報を集める。

上原の生き方は、山内によって大きく変化した。

「彼に会わなかったら、今も刑務所にいるだろうね。いや、生きているかどうか、それも怪しいな」(上原)

 

塀の中の聖書

 

長尾伸也も、山内によって大きく人生が変わった。

埼玉生まれで、気性が荒く、酒と覚醒剤に浸り、犯罪を繰り返した。2度の服役を終えると、あてもなく沖縄に漂着した。8年前のことだった。

カネもなければ、寝る場所もない。そして山内の施設に転がり込んだ。だが、酒がやめられず、酔った勢いでクルマの窓ガラスを割り、運転手を殴りつける傷害事件を起こし、実刑判決を受ける。

慌てて駆けつけた山内は、裁判所でこう語った。

「彼を必ず更生させます。今回だけは寛大な処置をお願いします」

そして、深々と頭を下げる。その後も、面会と手紙で長尾を励まし続けた。長尾は異郷の島の鉄格子の中で、「人は変わることができる」という言葉を読み続けた。いつしか、山内から差し入れられた聖書を手に取るようになった。

何をすべきか、何が正しいのか——。山内と聖書の文字が頭の中で交錯する。そして、鉄格子の外の光に、おぼろげながら答えが輪郭を表してくる。

「人のために生きる」

出所したら、伝道師になれないだろうか。聖書の言葉を追いながら、その思いが次第に強まっていく。刑期を終えた長尾に迷いはなかった。神学校に通い、刑務所での決意を現実のものとしていく。そして、現在はベタニヤゆいまーる教会の牧師となっている。昨年、自身の結婚式をあげた時、絶縁していたはずの兄が姿を見せた。

「元受刑者」という経歴を、長尾は隠そうとしない。むしろ、教会のパンフレットに堂々と書き込んでいる。だからだろう、日曜の礼拝には、人生に迷った元受刑者が多く集まって来る。

その根底には、山内の教えが流れている。

「人間は何度も過ちを犯すことがある。それでも、人は変わることができる」

それは、山内自身の人生の系譜にも重なる。

 

どん底と放浪

 

1949年、山内は沖縄県糸満市に生まれ、高校卒業後に地元の信販会社に入社している。1985年に独立し、カラオケリースやカラオケボックスの事業を展開した。ピーク時はカラオケボックスを8店舗運営した。売上高はうなぎ登りに増えて、1店舗で1日100万円を稼いだこともあった。その一方で、競合とのトラブルが絶えず、疑心と不安が心に渦巻いていた。付き合いでヤクザと飲み歩くことも少なくなかった。

好業績も長くは続かなかった。景気の腰折れとともに経営は失速し、あっという間に借金が億単位に膨れ上がった。40歳の時に不渡りを出して、窮地に追い込まれる。「もう、全てを投げ出して逃げるか」。苦悩し追い詰められていた時、元部下にガソリンスタンドでばったり会った。やつれた山内を心配そうにのぞき込む。つい苦境が口に出た。部下は聞き終わると、こうつぶやいた。

「教会に来ますか」

何もすがるものがなかった。日曜日、山内は放心状態を引き摺ったまま教会に足を向けた。厳粛な礼拝堂は、破綻寸前の喧騒から抜け出したかのような安堵感があった。目をつむり、気持ちを落ち着かせる。「人を信じなさい」「罪を償い、人は生まれ変われる」。聖書の言葉が心に浸みる。苦境から逃げようとしている自分の姿が浮かび上がってきた。ここで人を裏切って、逃げてはいけない。

月曜日、山内は押し寄せる債権者の前に立った。厳しい言葉を浴びながら、再建への道へと踏み込んだ。相続した財産は全て注ぎ込んでしまった。親兄弟から絶縁され、関係が戻るまで10年以上の月日がかかった。

だが、もし部下に出会わず、あのまま夜逃げしていたら、人生は全く違っていただろう。教会で自分を取り戻すことができた。その経験から、山内は牧師への道を目指すことになる。同じように、どん底に落ちて出口が見えず、もがいている人のためになるかもしれない——。40代にして大阪に出て神学校で3年間学んだ。そして、1999年、牧師となって沖縄の地に戻って来た。

浦添市の4階建てのビルの一角を借りて、「沖縄ベタニヤチャーチ」を開設した。しいたげられている人々を救うため、いつでも入れるように24時間、鍵をかけずに解放した。

2000年春のこと。ある朝、教会の扉を開けると、ホームレスの男が寝ていた。「困窮者の支援」を理念に掲げている以上、追い出すわけにはいかない。男は教会に寝泊まりするようになるが、そんな事態は山内も想定しておらず、設備が対応できていない。そこで、応急措置としてトイレをシャワー室に改造し、衣類は山内のアパートに持ってきて洗濯してもらった。今につながる、ホームレス支援の取り組みが手探りで始まった。

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